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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
2.戦いと報道(3)

 かつて、東西を行き交う隊商達にとって通商路のほぼ中央に立ち塞がるチベット高原は、天山を挟む二本の沙漠の路と並ぶ難所だった。それは山肌を這う峠道の険しさのためだけではない。夏でもたまに雪を降らせる高原の過酷な気候、そして肺を締め付ける薄い空気……長旅に疲れ切った身体にとって、天空の道は正に残された最後の力すら剥ぎ取ろうとする魔物であった。
 それだけに、高原の真ん中に忽然と現れるスバシの街を見た瞬間、旅人達が心からの安堵を覚えたのは言を待たない。
 かつて隊商による交易が盛んに行われていた時代、スバシには高原の道に疲れ切った旅人達が身体を休めるキャラバンサライが幾つも軒を並べていた。一階に何十頭もの馬を繋げる事が出来る厩を持ち、二階が宿泊所と荷物の保管所になっていたキャラバンサライには、様々な地方から数多くの隊商が訪れ、溜った疲れが完全に取れるまで幾日も逗留するのだった。
 こうして東西の隊商が行き当たる地となったスバシでは、当然の様にこれから赴かねばならない地域に関する情報の交換も盛んに行われた。そうして互いの情報をやり取りする内に、旅人達は有効な方法がある事に気付いた。それは、このスバシで持って来た荷物を交換するというものだった。何しろ、目指す遥かな地からやって来た隊商が目の前に居るのだ。それならば、わざわざ遠くまで行くよりも、今この場で自分の荷と相手の荷を交換した方が余程手っ取り早いだろう。
 いつしか情報交換の場は交易の場となり、歳月を重ねる中で益々多くの旅人がこの高原の街を訪れる様になった。
“交易都市スバシ”の誕生である。

 入国する前にウディヤーナについて調べた時、どの資料も例外なく強調していたのは、この国が仏教の一宗派であるゲルト派が支配する宗教国家だという事だった。しかし、初めてスバシを訪れた赤城がそこに見たのは、宗教国家という言葉から予想される単調な社会ではなかった。それはもっと複雑で猥雑な神々が、重層的に入り乱れる世界だった。
 確かに、三百の寺が伽藍(からん)を並べると言われているスバシには、大きな寺院から小さな仏塔まで様々な仏教施設が溢れていた。だが、それ以上に目に付いたのは、街角毎に設けられた様々な祠(ほこら)だった。極彩色に彩られたそれらの祠は、明らかに仏教と異なる神々が祀(まつ)られていた。しかも、それらの多くに灯明が灯り、色とりどりの供え物や花が添えられていたのである。そう、これらの神々への信仰は正に活き活きと呼吸をしていたのである。
 二つの全く異なる信仰が無理無く融合している社会——スバシを歩き回りながら、赤城はウディヤーナという国とそこに暮す人々の想像していた以上の懐の広さを感じずにはいられなかった。
 そうした多層構造は、スバシの街造りにも表れていた。
 この古都は、大きく分けて、北西のクマリ宮殿を取り巻く旧市街と、南東の丘に築かれたゲルト派の寺院を戴く新市街の二つの地域から成っていた。もっとも、新旧という形で呼んでいるのは最近になってこの街に入って来た人間だけであって、昔からここに住んでいる人達は必ずしも両者を分けたりはしていなかった。それでも、両者がそれぞれ異なった歴史的背景を持っている事は、二つの地域を歩いてみれば直ぐに分かった。小さな商店が櫛比(しっぴ)し猥雑な様相を見せる前者に対し、後者は点在する宗教関係の建物を中心に、あくまでも仏教の世界観に則った街路が整然と築かれていたからである。
 こうした街の二面性は、歴史的な成立過程だけでなく、明らかに宗教的な二重構造にも繋がっていた。クフラを中心とした雑多な神々が商業における現世利益を司っているのに対し、ゲルト派仏教はより観念的な政治の世界を支配していたのである。この国の宗教的な構図を映すスバシの二つの顔。しかし、それが同じ様な二重構造を持つ他の国と明らかに違っているのは、両者の間に緊張が感じられない事だった。
 不思議な国だ……そう感じながらも、赤城のファインダーはウディヤーナの日常とは別の人為的な現実を冷徹に切り取っていった。そこには、この高原の国で生きる人々の喜びや悲しみも、一切見られなかった。そこに写されていたのは、解放軍のヒステリックな顔と、ウディヤーナの人々の憎しみだけだった。
 もちろん赤城もその事は知っていた。しかし、今はそれも仕方ないと赤城は自分に言い聞かせていた。生きていくためには、そうするしかない。真実を伝える写真よりも、今はバカな大衆に衝撃を与える扇動的な写真こそが求められているのだから——。

 これまでも、紛争地に足を踏み入れる度に、まるでデ・ジャ・ビュの様な感覚に襲われた事があった。結局、そこで眼にしたのが、無数の紛争地で繰り返されてきたお決まりの光景——道路脇の車に仕掛けられた爆弾——粗末なロケット砲を使って繰り返されるテロ攻撃——死の恐怖と復讐心に駆られた解放軍が住民に対して行う仕返しの無差別攻撃——だったからである。
 自分でも辟易としているのは分かった。
 それでもレンズを向けなければならない。それが仕事なのだと自分に言い聞かせて。
 スバシに来た時もそうだった。最初にファインダーに飛び込んできたのは、中東の紛争地で見てきた惨劇の粗悪なデッドコピーだった。
 しかし、毎日の様に襲撃の現場を回っている内に、少しずつ眼前の内戦と今までに見てきた光景との間に横たわる微妙なズレが視界に焼き付く。出鱈目で乱雑な暴力の中に身を置いた時の神経を鉋(かんな)で削られる様な感覚、無差別攻撃の研ぎ澄まされた恐怖がここには感じられない。ファインダーの惨劇に感じられるのは、むしろ劇場で見る芝居の様なわざとらしさだった。
 一体何が違うのだろう?
 理由は単純だった。ここで繰り返されているテロ攻撃には、不毛な悲劇が無いためだった。確かに爆弾テロは解放軍や建物を襲っていた。しかしその写真の中に、泣き叫ぶ住民達の姿は無かった。いや、それだけではない。助けを求める姿も、死体の前に蹲(うずくま)る人間も、ファインダーに見る事は無かった。
 この街で行われているテロ攻撃は、明らかに住民を避けて行われているのだ。
 それが何を意味するかは明らかだった。結局、スバシで行われている解放軍への攻撃は、無差別テロではないという事だった。少なくとも、事前に情報が流され、住民達も前もって避難しているのは明らかだった。
 一見バラバラの武装勢力の攻撃も、実際には誰か背後で糸を引いているのだ。
 無差別テロの構造が見えてきた瞬間から、赤城達は死への恐怖を感じなくなった。周りの住人を注意深く観察し、そして不用意に解放軍に近付きさえしなければ、攻撃に巻き込まれる心配は無い。取材から命懸けという緊張感は消え、ただ仕組まれた演劇に参加しているという鈍い感覚だけが残った。
 しかし、解放軍の兵士達だけはその感覚から除外されていた。解放軍の兵士達にとっては、死への恐怖はあくまで現実だったのだ。


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