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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
2.戦いと報道(6)
酒場の常連に一人、地元ウディヤーナ出身のカメラマンがいた。ただ、確かに生まれたのはこの国でも、十代半ばに家を出てからはずっと外国暮しが続いており、北部山岳地帯の故郷にはもう20年以上も帰っていなかった。
それにしても、ただでさえジャーナリストという仕事が珍しいこの国で、しかも首都スバシではなく、ほとんど報道には縁が無い僻遠(へきえん)の地で生まれ育った人間が、どうしてカメラマンを志す気になったのだろう。本人によると、きっかけはアメリカの大手写真雑誌が登山のルポ記事を取材するために編成した登山隊にポーターとして雇われた事らしい。その登山隊に同行していた山岳写真家が、若いながらも誠実で熱心な働き振りを見せるポーターに目を留め、自分の助手として働かないかと誘い掛けてきたのだ。
故郷の生活以外はほとんど何も知らなかった若者にとって、写真家の誘いはあまりにも唐突で恐ろしいものだった。それでも、生来の強い好奇心と行動力が若者を写真の道へと駆り立てた。そして、カメラマン助手として様々な国を巡る生活に飛び込んだのである。
以来、若者の心から故郷への想いは消滅した。
故郷とはあまりに掛け離れた生活の中で、若者が何を見、何を経験したのか、今この酒場の中に古い木彫りの置き物の様に置かれている姿からは一切窺い知れない。しかし、かつて素朴な夢を抱いて故郷を捨てた若者が再び故国へと戻って来るまでに、20年という歳月が必要だった事だけは疑いを入れない現実だった。
再び生まれた国へ戻って来たカメラマン——ソンタイと酒場の連中に呼ばれていた——は、酒場で見せる僧侶の様な穏やかさとは裏腹に、現場では常に誰よりも積極的だった。酒場ではいつも穏やかに仲間の話に耳を傾けるだけのこのカメラマンが、現場では常に最も近くまで対象に近付き、兵士達へも果敢にインタビューを試みるのである。解放軍が暴発した時、誰よりも厳しい姿勢で住民に対して行われた非人道的攻撃を報道しようとしたのもこの男だった。
当然、その行動は、現地の人間である事を窺わせる風貌と共に、解放軍当局の眼を引く事となった。一再(いっさい)ならず取材禁止を言い渡されたのも、当局によって収監されたのも、全てはその一切妥協を許さない厳しい取材姿勢のためだった。
しかし、どんな強圧もソンタイの取材姿勢を変える事は出来なかった。いや、それどころか、強圧を受ければ受ける程、益々果敢に解放軍に迫っていくのだった。
確かに、ソンタイの姿勢に現地の人間にしか持ち得ない強い義務感を見る事も出来る。ただ赤城は、どうしてもそれだけとは思えなかった。その、時に攻撃的とさえ言える取材姿勢に、何か諧謔(かいぎゃく)にも似た逡巡(しゅんじゅん)を感じずにはいられなかったのである。
ある日赤城は、そんなソンタイの心の一端を垣間見る機会を得る。それは赤城に拭いきれない印象を残す事にもなるのだった。
特に広場と呼べる空間の無いスバシの旧市街において、それらに代わる役割を果たしているのが中心を貫く宮殿通りである。
毛細血管の様に細い道路が複雑に絡み合う旧市街で一際(ひときわ)幅の広い宮殿通りは、当初は現世と神の世界を繋ぐ参道であったと言う。通りの両側を埋める華麗な彫刻に彩られた建物はそうした時代の名残りであり、所々に残るキャラバンサライの跡と共に、古くから東西交易の結節点として要衝の位置を占めてきたこの街の歴史を今に映している。そうした景観の中に、毎日朝夕大勢の商人や近郊の農民らが集まり、大きな市が開かれるのである。
しかし、武装勢力の攻撃が激化すると共に強化された中国軍の締め付けは、その大切な景観も一変させてしまった。大通りの両端に設けられた検問は、それまで自由だった住民の出い入りを厳しく制限し、さらに品物の流入をも妨げたのだ。
この解放軍の施策は住民の激しい怒りをかった。それは単に生活が窮乏に追い込まれたためだけではない。スバシ市民にとっては、宮殿通りという空間そのものが自らの歴史を象徴する神聖な場所であり、解放軍の検閲はその神聖さを犯すものと映ったのである。
この瞬間から、解放軍への攻撃は個人の利害を超えた宗教的使命となっていった。ところが、その怒りは中国政府の指導者達には届かなかった。遠い首都で何重ものフィルターに濾過された情報を受け取っていた指導者達には、真実の都合の良い断片しか伝えられなかったのだ。
だが、現実は全く別の顔を見せていた。住民の反発はますます激化し、剥き出しの敵意が兵士達を焼け付く恐怖へと追い込んでいったのである。結局指導者達の無策のつけを払うのは、常に数知れぬ攻撃に曝(さら)され続ける中で恐怖と言う鑢(やすり)に心を削られていく兵士達だった。
赤城は、その日も早朝から住民と解放軍兵士達との衝突を撮影するために、宮殿通りの検問所へと向かっていた。思った通り、検問所の周辺には既に黒山の人だかりが出来ていた。どれも市場へ荷物を持ち込もうと検閲を待つ地元の農民や小商いの人間達だ。現地語の喧噪が検問所の兵士達を押し包んでいる。しかし、兵士達は全く耳を傾けるそぶりすら見せず、ただ黙々と荷物の検査を続けていた。周りには、銃を肩の高さに構えた警護の兵士が憤然と睨みを利かせていた。
一見すると、兵士達が住民を威圧している様にも見えた。だが、事実は全く逆だった。赤城は知っていた。怯えているのはむしろ兵士達の方である事を。虚勢の仮面を剥がせば、そこにあるのはただ疑心に苛(さいな)まれた表情だけだった。黙々と検査を続ける姿も、結局は荷物に仕組まれている爆弾に対する恐怖を必死に押し殺している人間でしかなかった。
もちろん住民達にも、いつ銃を向けられるか分からない恐怖はあった。それでも住民はまだ怒号の中に恐怖を発散させる事が出来た。ところが、兵士達にはそれすら許されていなかった。
赤城はレンズをテレコンバーターで倍率を二倍に上げた130ミリに交換した。検問所の兵士達が画角一杯に拡がる。テレコンバーターを使うのは、機動性のためというより、大きなレンズを振り翳(かざ)して兵士達を徒(むだ)に刺激したくはないからだった。特に敏感になっている兵士達の中には、たまに、胴の長い望遠レンズを武器だと勘違いする者もいる。
兎に角、兵士達という人種はカメラを構える人間に対して、本能的に警戒心を抱く様に出来ているらしい。それでも毎日の様に通っていると、少しずつ警戒心も弛んでくるものである。最初の内はまだ、カメラマンに下手な場面を撮られないよう必死に虚勢の仮面を被り続ける事が出来ても、日を重ねる内に緊張はボロボロにほつれ、古いコーヒーの袋から豆が落ちる様に本当の姿が漏れ出てくるのである。
赤城はファインダーに拡がる兵士達の表情を静かに見つめた。サングラスをしていても苛立ちと憔悴が警備兵達の心を逆立たせているのが分かる。
赤城はレンズを兵士達から検問を待つ市民達へと移した。兵士の脇に疲れ切った表情で座り込んでいる母と娘。今にも掴み掛からんばかりの勢いで兵士達に食って掛かる商人風の男。兵士達が路上にぶちまけた野菜を一つ一つ拾い集めている農夫……様々な姿がファインダーの中に浮かび上がってくる。もし非人道性を強調するキャプションを付ければ、こんな写真でも十分売り物になるのだろう。
しかし、赤城はそれらがどれも無限に繰り返される、連続ドラマの小さな断片に過ぎない事を知っていた。昨日も、一昨日も、そしてその前の日も、同じフィルムを赤城は見続けていた。結局赤城が行ったのは、そのあまりにも小さな一部を切り取る事だった。それなのに、その小さな切片を如何にも“戦争の真実”らしく配信する。だが、本当の真実とは結果的に棄てられた長大なフィルムにこそあるのだ。
もちろん、それは無作為に切り出された断片ではない。巨大な現実を可能な限り映すために、カメラマンとしての感性と技術の全てを注ぎ込んで選ばれた切片なのだ。
しかし、それも演出された真実に過ぎない……ファインダーを覗きながら、赤城は常に疑問を抱き続ける自分をも見ていた。確かにかつては、これらの写真に押し込められた悲劇性が人間の心を動かすのはそこに真実の断片が込められているからだと信じる事が出来た。ところが、今は違う。取材を重ねる内に赤城は知る様になっていった。ほとんどの写真が、結局は“遠い見知らぬ国で起きているなんとなくかわいそうな出来事”という、型通りの印象を抱かせるに過ぎない事を。そして、膨大な写真が時代の流れと大河の中に呑み込まれ、そのまま忘れ去られてしまう事を。
後には何も残らない。膨大に配信される報道写真の中で、辛うじて生き残るのは極く一部の奇跡的な写真と、そして新聞社や政治のプロパガンダに乗った写真だけだった。
それが分かっていながら、何故写真を撮り続けるのか?
もちろん答なんか出ない。ただ、そこに写真を撮らずにはいられない自分、目の前の現実に対して本能的にレンズを向ける自分を見つけるだけだった。
赤城はカメラを見つめた。そして、心の中で呟いた。いつもの様に、機械的に。場所を変えるかと。
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