| |
|
|
|
FLAG外伝 第1章 /野崎 透
2.戦いと報道(8)
ファインダーの中には、無人の校庭にまるで時を忘れた彫像の様に佇む少女の姿があった。少女の凍り付いた視線は、じっと足下の小さな穴に向けられていた。銃弾に抉(えぐ)られた校庭。1週間前、武装勢力と解放軍との間で繰り広げられた戦闘の傷跡だ。
レンズを少女に向けたまま、赤城は焦点を背後に送った。生々しい銃痕に覆われた古い木造校舎が像を結ぶ。その姿は、少なくともこの数日は学校が使われていない事を示していた。
ファインダーの少女に向かって、赤城は問い掛けた——学校は休みなのに、お前はどうしてこんな所にいるんだ?
少女の灰色の瞳が答える——壊されてしまった自分の世界を取り戻したいから……もう一度学校に戻って、皆と一緒に勉強したいから。
赤城は再び少女に焦点を合わせた。そして絞りを開放にした。淡く実体を失った背景に少女の姿が浮かび上がる。どうしてこんな写真を撮る気になったのか、赤城には分からなかった。もしかしたら傷付いた世界を少女には見せたくないと、無意識の内に考えたのかも知れない。
不意に、少女が顔を上げて空を見る。
その瞬間、赤城はシャッターを押すのを止めた。そして、ファインダーから目を離し、少女に気付かれない様にそっとその場を後にした。
珍しく酒場にはソンタイ一人しかいなった。赤城はゆっくり店の奥に進むと、いつもの自分の席に身体を投げ出した。そして、バッグからカメラを取り出し、ブロワーで一日の埃を吹き払い始めた。
灰色の空気の中に単調なブロワーの音が吸い込まれる。
語るともなく赤城は語り始めた。
「今日、閉鎖されている学校へ行ってきた」
ほとんど自分からは口を開く事が無い赤城の突然の語り掛けに、ソンタイは軽く驚きの表情を浮かべた。赤城は委細構わず続けた。
「誰も居ないと思っていたが、少女が、独り校庭の片隅に立っていた」
規則的なブロワーの音が止む。赤城はまるでそこに少女が立っているかの様に、目の前の虚空を見つめた。
「写真を撮ろうと思ったが、出来なかった」
そこまでだった。言葉の接ぎ穂を失った赤城は、視線を落とすと、再びカメラの掃除に戻った。
沈黙が、静かに酒場を覆う。ただ、ブロワーの音だけが単調に続く。
今度はソンタイが口を開いた。
「……リサに怒られたよ」
「こないだの写真か」
「ああ……」
赤城はリサが先日の写真の件で怒っている事を知っていた。きっと、ソンタイに向かっても直接、どうして止めなかったのかと食って掛かったのだろう。
“いかにもあいつらしいな”赤城は心の中でほくそ笑んだ。普通なら煙たがられる子供じみた理想も、リサの口から出るとなぜか嫌味にならない。きっとソンタイも同じなのだろう。まるで赤城の想いが聞こえたかの様にソンタイは呟いた。
「あいつは、いい人間だ」
「いつも本気だからな。だから嫌味にならない」
「そうだな……」
ソンタイは微かに笑った。一瞬、いつもの屈託が消える。しかし、微かな笑みは直ぐに元の厳しい表情に戻った。
「ああいう人間は、死んではいけない。特に、こんな下らない内戦のためには」
「そうだな」
赤城は無意識の内にソンタイと同じ言葉を繰り返した。しかし、その時赤城の脳裏に浮かんだのは仲間のカメラマンの姿ではなかった。それは、じっと地面を見つめる少女の姿だった。
ふと赤城は、ソンタイが“内戦”という言葉を使った事に気付いた。
確かにこれは下らない内戦だった。しかし、中国はその事を絶対に認めようとはしなかった。あくまでテロリストによる攻撃だと主張し、武装勢力との交渉のテーブルに着く事を頑に拒んでいるのである。
苦々しい想いと共に、赤城は吐き棄てた。
“つまり、状況は絶望的という訳だ”
赤城の予想通り、中国側の強硬な姿勢は武装勢力の攻勢をさらに激化させた。“テロ攻撃”はますます頻繁になり、最早スバシ市内は完全な戦争状態に陥っていった。
この時、一つのニュースが世界を駆け巡った。それは、中国の国家主席が急病のため予定されていた北朝鮮への訪問を中止したというものだった。ニュース自体はさしたる注目を集める事も無く直ぐに忘れ去られた。
数日後、中国が突然それまでの強硬姿勢を翻し、国連軍のウディヤーナ派遣を承認すると発表した。この方針変更に対して、マスコミは、様々に原因を議論した。しかし、その中に、数日前のニュースとこの一件を結び付けるものは一つも無かった——
|
|
|
|
|