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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
3.特殊部隊(2)
機外に引き出されると同時にハーヴィックを乗せた投下パレットから大型の制動傘が射出され、時速200キロを超える対地速度を一気に減衰する。さらに液体装薬の爆発によるエア・クッションが、落下の加速を最小限に抑える。
それでも着地の衝撃は瞬間的に5Gを超えた。衝撃と共に強烈な圧迫感がクリスの喉元を襲う。血が脳から下がるブラックアウトを防ぐGスーツが作動し、頸動脈を締め付けたのだ。
微かに視界が掠(かす)れる。しかし、クリスは委細構わず拘束装置を切り離して投下パレットからハーヴィックを解放させた。それまでのふわふわした振動とは違う、地面の硬い衝撃が機体を通して伝わってくる。
クリスは間髪入れず内蔵テスト装置を作動させ、機体の損傷状況を確認した。異常は表示されない。よし!……心の中で小さく呟くと、即座に着地の成功を伝えた。
「ハーカス1よりトーラス、着地に成功」
クリスに続いて、抑揚の無い声がヘッドセットに流れる。
「ハーカス2よりトーラス、着地に成功」
もう1機のハーヴィックの操縦者・一柳中尉の声だ。ほとんど乱れの無い通信を聞いて、クリスは僚機も着地に成功した事を確信する。
続いて、クリスはディスプレイをGPSモードに切り替えた。
「こちらハーカス1。現在位置を確認」
「トーラスよりハーカス各機、ターゲットはカッシア街道を北西に向かって移動中。当初の予定通り、直ちにポイント・アルファへ移動」
「ハーカス1、了解」「ハーカス2、了解」
通信と同時に目紛しくデータのやり取りが行われる。指揮管制機から送られてきたGPSデータは、2機のハーヴィックが誤差2メートル以内で予定のポイントに降下した事を示していた。訓練時よりは低いが、降着地点周辺の地形を考えると悪い数字ではない。
さらに表示は周辺のレーダー画像、攻撃目標の現在位置へと連続的に変る。全ては予めシミュレーターで体験していたものとほとんど同じシチュエーションで流れている。クリスは(そして、恐らくは一柳も)作戦プログラマーの情報収集能力と分析力に改めて瞠目(どうもく)せずにはいられなかった。
「ターゲットの移動速度は時速60キロ。会敵ポイントと移動経路のアップデート・データを送る」
再び指揮管制機からの指示が届いた。ディスプレイに表示されていたターゲットのポイントに移動度を示すベクトルが重ねられ、予想会敵ポイントまでの経路が最新のデータに置き換えられる。クリスはそれらの表示を見ながら、移動パターンのウィンドウを呼び出し、新しいデータが確実に入力されているかどうか確かめた。
「会敵ポイント、セッティング、OK」
クリスは現状を伝えながら、プログラムされたパターンに従ってハーヴィックを発進させた。出力ブースト用小型ガスタービンの甲高い叫び声と共に、ハーヴィックは忽(たちま)ち時速80キロまで加速した。砂礫に覆われた荒れ地の上を走行しているにも拘わらず、6基のマイクロプロセッサーで制御されたアクティヴ・サスペンションによってほとんど衝撃は感じられない。しかしそれらの驚異的な性能も、繰り返し走行テストを積み重ねてきたクリスには最早驚きではなかった。今、彼女の心はただ一つの焦点——これから行われるであろう戦闘のイメージ・トレーニング——に向けて鋭く研ぎ澄まされていくのだった。
ハーヴィックが追っているのは、国道を移動している現地武装勢力の車輌群だった。ただし、攻撃するためではない。作戦の目的は、車輌群のどれかに乗せられているはずの国連NGOスタッフを救出する事だった。
米軍の撤収によって生じる戦力の空白を狙った武力攻勢が激化するのを防ぐべく国連が送り込んだNGOスタッフは、当初、周辺諸国の協力を受けて順調に平和監視団としての機能を果たすかに見えた。しかし、一件の自爆テロが全ての方向を狂わせる。それは和平会議での発言力強化を目論んだ一部過激武装勢力の起こした陽動攻撃だった。周辺諸国の圧力を受けて矛を収めていた各武装勢力がこの攻撃に一斉に反応、再び武装闘争を開始したのである。
和平会議へ向けた準備が進められていたI国の首都は忽ち争乱の場へと変貌し、国連NGOは荒波の中に置き去りにされた難破船の様に武装勢力の海の中で孤立する。国連は即座に撤収を命じたが、既に内戦状態に陥っていた市内から非武装のNGOスタッフが独力で抜け出す事は不可能だった。国連はアメリカとEUに支援を求めた。しかし、撤収直後の米軍はもちろん、EUにも緊急に部隊を展開する能力は無かった。
危機が切迫する中、事態がさらに最悪の状況に陥る。過激派武装勢力の一つが国連本部の置かれていたホテルを急襲、NGOスタッフを連れ出して拉致したのである。
目的は全く不明だった。ただ一つだけ明らかなのは、NGOスタッフの生命が、同胞すら簡単に殺害してしまう過激な集団の手に握られてしまったという事実だけだった。
閉息した事態を打開すべくシーダックの下に出撃命令が下ったのは、拉致事件が起きてから2日後の事だった。
即座に救出作戦計画の作成が進められた。ここでネックになったのが、シーダックの主要装備であるハーヴィックの戦術能力だった。いかに不意を衝いて、相手が立てこもっている建物に迅速に突入するかに成功の全てが掛かっている救出作戦では、ハーヴィックのサイズが問題になると考えられたのである。
しかし、ハーヴィックを用いない作戦は考えられなかった。シーダックはまさにこの機動兵器の存在を前提に設立された部隊だったからである。
ハーヴィックという兵器を一言で表現するならば、20世紀末以降兵器技術に最大の変革をもたらしたIT(情報技術)の急速な発展、さらに21世紀に入って登場したサイバネティック‐メカトロニクス技術(兵員の身体能力を数十倍に強化する事を可能とする一種のサイボーグ技術)を融合させた全く新しい概念の戦闘ヴィークルと言う事ができる。具体的には、エグゾスケルトン・タイプの機動プラットフォームとヴェトロニクスを組み合わせる事で、従来不可能と考えられてきた個々の兵士レベルでの高度な情報通信能力と強力な火力を結合させた兵器である。呼称の内にある“Versatille”という言葉が示すのは、正にそうしたハーヴィックの技術内容に由来する高度な多機能性であった。
もちろん、ハーヴィックの開発が実現した背景に、ポスト冷戦期の戦争の変質が大きく関与しているのは言うまでもない。かつて20世紀の世界を支配した国家間の総力戦が21世紀においても戦争の主要な形態であり続けたならば、恐らくハーヴィックの様な兵器は開発されなかっただろう。
しかし、冷戦の終結と共に、戦争は膨大なエネルギーと人命を消耗する戦いから、極く限られた武装集団によって戦闘地域‐非戦闘地域の区別無く行われる武装テロ型の限定戦争へ変っていった。その結果、戦闘の中心も通常型の軍隊からより高度な機動性と情報を駆使して、極めて限定されてポイントだけに攻撃を集中するハイテク部隊へと移行したのである。そうした、情報と起動力を駆使した戦闘に特化した兵器として登場してきたのがハーヴィックだった。
ハーヴィックの通信システムは単に司令部や軍事衛星等と直接するだけでなく、データリンクを介して戦場上空を飛行する観測ヘリや空中指揮管制機の、ほぼ完全なコントロール下で戦闘を行う能力を持っていた。その結果、戦場において不意の攻撃を受けたり見当違いの目標を攻撃したりする可能性はほぼゼロになり、常に最適のタイミングと方法で敵を攻撃する事が出来る様になった。具体的には、これまで敵を制圧するためには広大な戦場全体に膨大な砲弾や銃弾を撃ち込まねばならなかったのが、相手の状況を完全に把握する事で確実に敵が居る所だけを攻撃する事が可能になったのである。これが膨大な時間とエネルギーの節約に繋がるのは言うまでもない(人間一人を倒すために使われる銃弾の数は、近代戦では20万発以上にも達すると言われている)。
これらの高度な情報処理能力を最大限に活かす為に開発されたのが、通常の四輪走行モードに加えて二足歩行形態への移行も可能としたハーヴィックの機動システムである。
二足歩行は長年に亘るエグゾスケルトン開発の結果、実現した技術で、基本的に人間とほぼ同レベルの歩行/走行能力が実現されている。制御は、直接操縦者の神経系統に繋がれた600基のマイクロプロセッサーによって行われる。ただし、従来のエグゾスケルトンが実際の動作を補助する形で作動するのに対し、ハーヴィックの操作はあくまでも頭の中で動きをイメージする事によって行われる。そのため、操縦にはかなりの習熟が必要となったが、これはハーヴィックと人間の大きさの違いから来る動作のギャップを埋める為には必要な措置だった。実際、事前に行われた実験でも、スケールの異なるエグゾスケルトンを操作するには動作を伴わない方が良いという結果が出ている。
こうした二足歩行形態が導入された結果、従来の車輌では侵入が不可能だった狭隘(きょうあい)な場所でもハーヴィックならば侵入が可能になり、作戦の幅は大きく拡げられる事となった。しかし、それはあくまで机上のシミュレーションにおいてであって、現実にこの全く新しい概念の兵器がどれほどの可能性を秘めているかに関しては未だ未知数と言うのが現実だった。今回の作戦でその能力が疑問視されたのも、むしろそうした運用上の問題が大きかったというのが本当のところであった。
しかし、数多くの訓練を通してこの兵器の可能性を実感していたクリス達は、全く別の考えを持っていた。たとえ任務が建物への侵入であろうともハーヴィックは最高の能力を発揮する、大きなサイズもその柔軟な機動性と高度なベトロニクスを駆使すれば問題にはならない——クリス達はそう信じていたのである。
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