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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
1.プロローグ(4)
——兵士達が駆け込んだ時、部屋の中に居たのは水鉄砲で遊んでいた子供達と父親、そして夕食の後片付けをしていた母親だけだった。
——しかし、兵士達は父親に向かって激しく問いかける。真っ赤に血走らせた目で銃を向けながら、「テロリスト達はどこだ」と。
——兵士達の言葉を全く理解出来ない父親は、ただ恐怖に怯えた眼差しで答えるしかなかった。「違います、これはオモチャです……」
首都を中心とする内戦は、開戦から半年が過ぎても一向に収まる気配を見せなかった。その間、“解放軍”の損失は着実に増え続け、遂には大規模な増派を余儀無くされるところまで事態は悪化していた。
軍を送り込んできた隣国—中国—にとって計算外だったのは、首都の制圧と共に設立された暫定政府がほとんど機能しなかった事だった。恐らくこの勃興する大国の指導者達の目にウディヤーナの国民は、数百年に亘って宗教権威の許に屈服し、ただ交易から得られる富の余禄に預かる事しか考えてこなかった軟弱な寄生者としか映っていたのだろう。確かに侵攻は相当に強引なものだったかもしれないが、解放軍の強大な戦力と進駐後の経済的な利益の前には反攻心も簡単に吹き飛んでしまうに違いない。ましてや、自分達はゲルト派の強圧的な支配から開放する“正義の軍隊”なのだ……。
しかし、“軟弱”なウディヤーナの国民は隣国のあからさまな傲慢(ごうまん)を決して受け入れなかった。中国が行った見せ掛けの民主化は全く支持を得られず、武力集団による進駐軍への武力攻勢は首都からウディヤーナ全土へと燎原(りょうげん)の火となって拡がっていったのである。
ポスト冷戦期に頻発した紛争を通して明らかになったのは、戦争の本質が大きく変貌したという現実だった。20世紀の最後の10年間、かつて国家間で戦われた戦争はほとんど姿を消し、戦いはもっぱら国家と言う主体を持たない武装集団同士の紛争という形で展開される様になっていった。そこで行われる戦闘の多くは武装集団によるテロ攻撃であり、戦闘の主体が誰であるのか、一体何を目的とした攻撃なのかも判然としないのが普通だった。
そうした戦いには明確な終わりが無い。しかも、単に宗教や経済的な利益によって緩やかに結合しているに過ぎない武装集団は、軍事的にどんな損失を被ろうとも、人と金の供給源が続く限りはいくらでも再生が可能であり、その結果、戦後という概念は本来の意味を失い、単に新しい戦闘局面への突入を意味する言葉へと変質してしまうのだった。
腐った木の扉だと思い込んでウディヤーナに侵攻した“解放軍”が遭遇したのも、そうした泥沼の“終戦後”だった。この場合、いわゆる“戦争”はすぐに終結している。大挙して流れ込んで来た兵士達を阻止する力はこの高原の小国にはなかったからでる。
一方で、ウディヤーナの国内に存在する全ての武装勢力を完全に支配下に置き、平和を実現させるには、その10万人という兵力はあまりにも過少だった。結局中国軍はポスト冷戦構造の中で幾度も示されてきた教訓——現代においては、戦争に勝つよりもその戦勝状態を維持する事の方が遥かに難しい——に対してあまりにも無知だった。戦争の終結宣言が出されたその日から始まった抵抗活動は日を追って激化し、遂にはウディヤーナ国内が内戦状態に覆われていく事になったのである。
この時、もし“解放軍”の指導者達が、傀儡(かいらい)政府を通した実質的支配という当初の方針を棄て、最大の目的であった戦略資源の権益確保のみに支配の範囲を制限していたならば——或いは、そのためにラ・ポーを本気で懐柔しゲルト派による間接的支配の路を選んでいたならば、後の展開も全く異なるものとなっていたかもしれない。だが情勢を自国に有利な立場でしか見ようとしなかった“解放軍”の指導者達は、既に崩壊してしまった当初の計画を捨て去る事が出来ず、泥沼の戦闘を解決へと導く機会を失ってしまうのだった。
こうして、解決への明確な戦略も無いまま内戦は長期化の一途を辿る事となる。この段階になって、それまでマスコミの視野の外にあった天空の小国は俄(にわか)に注目を集め始め、少なからぬジャーナリスト達が集蛾灯に誘われる蛾の様にウディヤーナへと向かった。そして、かつて米軍が辛酸を嘗めたイラク戦争の粗悪なコピーを世界に向けて発信し始めるのだった。
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