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FLAG外伝 第1章 /野崎 透
1.プロローグ(5)
ポスト冷戦期における新たな紛争形態の創出は、本来、国際紛争に対する唯一の平和執行機関である国連にも変革を迫ろうとしていた。20世紀の末に頻発した悲惨な戦いの数々が、紛争地への人道的介入や停戦後の平和維持活動等を国連の重要な役割とする認識を醸成していったのである。
しかし、そうした役割の拡大は、従来から国連の構造的な欠陥とされてきた問題をもより深刻に顕在化させた。国連の活動に対する大国、特にP5の露骨な介入である。
紛争への人道的介入にしても、停戦の実現に求められるPKOにしても、結局、それらの活動を保証するのは強大な軍事力でしかない。ところが、肝心の軍隊を国連は一切保有していなかった。国連に出来るのは、安全保障理事会の決議を通して構成国——具体的には米国とEU諸国——に必要な軍事力の供出を求める事だけだった。しかし、実際に派遣要請に応じるかどうかはあくまでそれら当事国の意向次第であり、しかも、安保理の決議そのものがP5の意向一つで簡単に葬り去られてしまうのである。
21世紀初頭、カフカズの産油国で起きた人道問題は、同地域に地政学的利権を有していたロシアの拒否権発動によって結果的に見過ごしにされた。中央アジアやカリブ諸国の人権問題もまた、中国やアメリカの意向に従って握りつぶされている。
過去には、安保理の承認を経ずに、PKOという形で現地に国連のスタッフが派遣されたケースもあった。しかし、アフリカの南部や北東部で起きた住民虐殺に対して行われたPKOの例を見る迄も無く、軍隊の後ろ楯を持たない活動は結局無惨な失敗に終るだけだった。
国連が各地の紛争に主体的に関わっていくために、何が必要であるかは明白だった。独自の軍事力を持つ事、それもここで求められるのはあらゆる紛争に対処出来る最新装備の軍隊だった。しかし、国連が軍隊を持つ事に対しては常に大国を中心とする強固な反対があり、構想は容易には実現しなかった。
特に、国連軍実現の前に強固に立ち塞がったのがアメリカだった。かねてから国連によって自らの権益が制限される事を潔しとしてこなかったアメリカにとって、必要なのはあくまでも自国の補助となる戦力であり、絶対中立の軍隊は自らの世界戦略にとって邪魔者以外の何物でもなかったのである。
さらに、そうした理念の問題以上に深刻だったのが予算の確保だった。
国連軍の創設と活動の維持に必要な予算がどれくらいになるかは、どの程度の軍事力を整備するかによって大きく変ってくるが、一つの試算として示された値は優に年間1千億ユーロを超えるというものだった。しかも、それはあくまで人員と基地を加盟国の協力に依存するという前提の下での試算であって、もし改めてそれらを整備しなければならないのであれば、値は天文学的な数字に跳ね上がるのは必至だった。
結局、国連軍の創設が切実な問題である事は認めつつも、現実的には不可能というのが、ほとんどの加盟国の一致した見解だった。
ところが、21世紀の初頭にそうした現状に風穴を開ける事態が起きる。発端は欧州統合軍——WEUの創設だった。
WEUは、経済統合を果たしたEUが軍事面でも統合的な体制を構築しようと創設を目指した軍事機構だった。ただしその性格は、所謂従来の国民軍とは異なり、あくまでも域内の紛争に対して派遣するPKF活動を主体とするものだった。しかし、EUが独自の軍事活動を展開する事を好まないアメリカは、NATOを唯一の統合的軍事機構とすべきだと主張し、WEUの阻止に動き出す。
こうしたアメリカの主張は、EUにとって派遣主義の延長に過ぎなかった。両者は正面から対立し、遂にはカフカズで勃発した地域紛争に対し、それぞれ独自のPKFを派遣するという事態に到るのだった。
このまま両者の主張は、出口の見えない対立へと向かうかと思われた。しかし、この時突然EUが劇的な方針の転換を見せる。計画していたWEUを国連の完全な管轄下に置かれる組織、国連軍とするという提案を国連総会に提出したのである。
EUの構想にあったWEUの活動内容が基本的に国連軍と軌を一にするものであった事を考えると、これは正に逆転の発想だった。国連への移管に伴って活動領域が大幅に拡がる事を問題視する意見もあったが、軍事活動が全地球規模へ広域化している現代の動向を考えると、EU域内という当初の範囲自体が元来現実的なものではなかったのも、また確かだった。
他にも、実現に向けては様々な障害が予想されたが、とにかくEUにとっては、国連軍の創設という事であればアメリカも容易には反対出来ない事の方が重要だったのである。
こうして、EUが最初の構想を発表してから3年後、オランダのハーグで世界中の関係者を招いた式典が行われる事となった。それは、人類の歴史上初めて国家の利権から完全に独立した軍隊の創設を高らかに謳い上げるものだった。
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新たに産声を上げた国連軍に対し、各国政府の反応は基本的に好意的だった。しかし、公表された歓迎のアナウンスとは裏腹に、本音の部分では、多くの国が国連軍の誕生を快く思っていないのもまた偽らざる事実だった。
絶対中立と平和実現のイデオロギーを掲げる軍隊、それも米軍に準ずる強力な軍事組織が国際政治の中心に忽然と出現した衝撃は、決して小さなものではなかった。もしこんなものが有効に機能すれば、これまで国家の利害を最優先に強力な軍事力を押し立てて他国に干渉して来た国々——もちろん、そこには米国も、ロシアも、それに中国も含まれる——の行動は大きく制限される事になるだろう。しかし、だからと言って、国連軍をあからさまに批判する事も出来ない。そんな事をすれば、自ら平和を望んでいないと主張するようなものだったからである。
出来るのは唯一つ、国連軍が内部崩壊を起こして勝手に空中分解するのをじっと待つ事だけだった。正に某国の大統領が側近にふと漏らした様に——「どうせこんな物が上手くいく筈はない。勝手に壊死するまでゆっくり見守っていようじゃないか」と。
この様に、ようやく創設まで漕ぎ着けた国連軍にとって、自らを取り巻く環境は最初から極めて厳しいものだった。アメリカや中国、そしてロシアや中東諸国の無言の反発。運営を巡る安保理の混乱。人権状況の全く異なる様々な国から兵員が派遣されている事から発生する日常的な諸問題の数々……。
しかし、国連軍にとってやはり最も深刻だったのは、日々費消される膨大な運営費だった。当座は創設の理念に理解を示しているEUと日本の拠出金によって何とか運営も維持されていたが、それも決して永遠に保証されたものではない。もし国際紛争の調停や停戦の実現で力を発揮出来なければ、たちまち金喰い虫のお荷物と看做(みな)され、大幅に減額されるか、あるいは完全に断たれてしまう事すら予想されたのである。
そうした国連軍にとって、何より必要だったのは、実際のPKOを通して可能な限り早急に自らの存在感を示す事だった。
この時、国連軍首脳の前に一つの紛争が浮かび上がってくる。泥沼の状況を示し始めていたウディヤーナの内戦であった。
その内戦は様々な点で国連軍の目的に適っていた。まず、軍事介入したのがP5の一国であり、従来型の多国籍軍では先ず派遣が望めなかった事。少なくとも、国連軍の首脳には紛争の規模が制御不能な程には大きく見えなかった事。さらに、中国が持っていなかった武装勢力側の精神的指導者ヌチャラント・ラ・ポー二十三世との交渉チャンネルを国連は持っていた事、等である。
唯一の問題は、この内戦に対する関心がまだそれほど大きくはない事だったが、それも国連軍が動き出せば自然と解決されるだろう。
こうして、歴史上最初の国連軍による本格的な紛争への介入が動き始める。この時国連軍は、自分達が重大な過誤を犯していた事に気付いていなかった。しかし、それが明らかになるのはもっと先の事だった。
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